いぼぢぃ@ギランバレーとゆるぼち戦う闘病戦士

ある日突然体の自由を奪われた…ギランバレー症候群と戦う田舎もんの日常を綴った日記です

ついにHCU脱出!嚥下障害との戦い

 

 

 

どうも!

 

 

最近カメムシの多さに悩まされているいぼぢぃです😇(笑)

 

 

寒くなってきてカメムシが増えて来ましたね〜😱

都会じゃそんなに見かけないかもですが僕の家は田舎中の田舎なので冬眠に入るこの時期はカメムシの量が尋常じゃないです😤

 

 

毎日歩行訓練していても歩いてる僕にタックルしてくるあいつら…(笑)

 

 

そのシュールさがなんとも言えず必死に歩いてるのに笑わされてリハビリ出来へんやんけ!

って感じです(笑)

 

 

そーいや丁度発症してHCU→一般病棟に移った際もこの時期で同じようにカメちゃんに悩まされてたな🤔

 

 

ということで今回は前回の続きで一般病棟に移ったところから書いていきたいと思います。

 

 

 

前回ついに人工呼吸器を抜管し命の危機がある所からは脱した事で一般病棟に移ることになりました。

 

 

この時点でやっとはっきりした病名が分かり

川崎病の疑いからギランバレー症候群疑いに変更になりました。

 

 

この時点でもあくまで疑いで

検査の結果自体ほぼギランバレーで間違い無いのですがなぜ疑いだったかというと

 

あまりにも通常のギランバレー症候群とは違う神経障害が多く重症だった為に疑いと言う扱いになっていました(結果的にAASNNだったのですが)

 

 

ここで一般病棟に移ったのですがこの時点ではまだ体はボロボロで本当にキツイ毎日でした

 

 

まず全身の筋力低下で首から下はほぼ動かない

 

自律神経障害でよだれが出ないため喉がカラカラで水を飲ませて欲しいとお願いするも嚥下(飲み込みの機能)も上手く働いておらずスプーン一杯の水を飲むことすらできない状態

 

 

そして誤嚥して肺炎になっているためその肺炎を治す為にもこれ以上誤嚥するリスクを取れない

 

 

そして肺炎による高熱も自律神経障害により汗がかけないので全く下がらず常に40度越え

 

 

後はこれはよく理屈がわからないのですが、

おそらく感覚神経が障害されたことにより感覚異常が発現し、熱が上がる際普通の人ならゾクゾクする感じとか寒い感覚に襲われると思うのですが

僕は尋常じゃない痛さの神経痛が出ていました

 

 

その痛みがえげつない事…

 

痛みで何度か気絶もし仮に意識があっても叫び続けてました😱

 

 

未だに感染して発熱すると当時ほどではないですが猛烈な痛みに襲われます

 

 

とにかく痛み止めと解熱薬を投与しまくって体のクーリングで下げる毎日でした

 

 

涙も出なくなっていたので10分おきに点眼

 

 

そしてこれが未だに悩まされている消化器障害。

消化吸収もひとつもできなくなってしまった事で尋常ではない下痢が止まらず30分おきにおむつ交換。

 

 

それでも追いつかずシーツまで汚染する毎日でした。

 

 

こんな調子で一般病棟に移ったもんだからまあ毎日死にそう、寝れないで本当に限界でした😢

 

 

なぜこんな地獄を乗り切れたのかというとここでの出逢いが大きかったですね😊

 

 

最初に入院した病院は、地元だったこともあり知り合いも多く勤務していてお見舞いも頻繁に来てもらえていました

 

 

HCUに遠い親戚がいたり、一般病棟には中学からの友達、そしてまさかのその友達の後の奥さん!(笑)

 

 

僕が入院したその日にお披露目会って事で食事の誘いがあったみたいですが既に死にかけの僕はそんなことは梅雨知らず(笑)

 

 

病院で初めましての挨拶をするというまさかの状況に(笑)

 

 

ですがこの病院にいた2ヶ月看護師さんとも仲良くなり本当によくしていただきました😢

 

 

小学の同級生のお父さんがレントゲン技師だったり、友達の親戚が歯科医だったり

 

 

そして担当医のチームの皆

 

 

そして今後の予後に大きく関わってくるリハビリを必死にこなしてくれたセラピストさんたち

 

 

特にこの時点ではとにかく嚥下機能の回復をしないと水も飲めず食事なんて持ってのほかだったのでSTさんにはかなりお世話になりました。

 

 

この時点では毎日親がお見舞いに来てくれていて一緒に死に物狂いでリハビリしてました

 

 

嚥下評価の際に看護師がもたついて僕の体力が続かなくて中止になった時も泣いて謝ってくれたり

 

本当に患者思いの良いセラピストさんでした😭

 

 

PTさんも厳しくも優しくリハビリしてくださり

この病院にいた時点で

 

 

嚥下はとりあえず離乳食ほどの形態は食べれるようになり

運動神経は少しだけ動けるくらいまでは回復しました😊

 

 

食べれるようになったと言っても消化器障害はゴリゴリキツい時期だったので

経鼻経管栄養+離乳食も

 

 

食べて数分のうちに何も消化せず飲み込んだまま下痢していました😱

 

 

そんな酷い下痢が続いていたので、肛門周辺は皮膚が黒く炭化し感覚が弱いにもかかわらず激痛でした

 

 

ですが周りの支えもあり、一度だけリハビリ室にリクライニング車椅子で降りたことがあったんですが

 

 

その時たまたま2ヶ月に一度のリハビリで生まれつき人工呼吸器でものすごい難病で産まれた小学生の女の子が来ていたのですが、

 

 

そんなに障害を抱えていて辛いはずなのに凄い明るい子だったんです

 

 

産まれた時座ることも一生出来ないと言われた子が

走り回って踊ってるんです!

 

 

すごい楽しそうで生きてるだけで幸せ!って言ってました😢

 

 

 

あの子を見たときにこんな奇跡を起こせる子がいるんや!

俺も諦めたらあかん!絶対生き抜いてみせる!

って強く誓ったときでした。

 

 

なぜかこの病院にいた時は不思議な出会いが多かったです。

 

 

2ヶ月に一回のリハビリにたまたまリハビリ室に行けた僕が出くわせて勇気もらってってなんかすごい導かれてる気がしません?

 

 

お前は治るから諦めたらあかんのやでって神様に言われてる気がしました。

 

 

そんな出逢いや周りの支えもあって前向きに明るく過ごすことが出来ました😊

 

 

 

そして検査の結果もう一度ivig点滴をした方がいいと言うことになり大学病院への転院を進められたと同時にこの病気の本当の病名、確定診断が下りることになりました。

 

 

その病名が今までも書いて来た

 

急性自律性感覚性運動性ニューロパチー

 

です。

 

 

その際神経内科の医者に言われたのが

 

 

「あなたはもう一生歩けません、5年経ってやっと車椅子に乗れるかどうかです、これ以上早くならないでしょう」

 

 

と言うものでした。

 

 

うん、もうなんと言うかね普通落ち込んで泣くと思うでしょ?

 

 

それが何故か

 

 

「なんでお前にそんなこと決められなあかんねん!

先のことなんか誰にもわからんくせにお前に俺の人生決められてたまるか!絶対いつか歩いてやる!」

 

 

でした。(笑)

 

 

捻くれてるんですかね?(笑)

ですが何故か俺には出来る!そう思ってました。

 

 

実際今発症2年で少し歩けて車椅子にも普通に乗れています。(ざまぁみろ)

 

 

まあこの後転院するまでの数週間で現実見だして死ぬほど落ち込むんですけどね。(笑)

 

 

とりあえず今回はこの辺で終わって次回から大学病院に転院してからのことを書いていきたいと思います😁

 

 

長々とありがとうございました!

 

 

また次回もお願いします!

 

 

今日も一日ゆるぼち行きましょう〜

 

 

それでは!

 

 

 

 

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