"本格的なリハビリへ“県リハへの転院
どうも!
いぼぢぃです😊
前回の更新から少し期間が開いてしまいましたね
ここ数日急に冷えてきた事で絶賛体調崩していました😂
GBSやAASMNで自律神経障害がきつい方は夏場より冬場の方が過ごしやすいと思いますがいくら過ごしやすいとは言っても冷えすぎるとやっぱりダメですね😅
お腹の調子が病気の後遺症に拍車をかけるように悪化して下痢が止まらずくたばってました(笑)
諦めて素直に暖房使いかけたら体調も良くなってきて今は落ち着いてます👍
退院して初めての冬なのでエアコン使うタイミング等体調管理も課題になってくると思い知らされました
入院してたら年中温度管理されててこんな変化ないですからね😓
これからもマイペースですがぼちぼち更新していきますのでよろしくお願いします🙇♂️
さて前回大学病院で治療が終わり本格的にリハビリ病院への転院が決まったところですが今回はここから始めていきたいと思います
とりあえず最後の転院になる予定、ここで必死にリハビリすればやっと家に帰れるそう思って希望を持って兵庫県の関西だったら一番有名な?県立リハビリテーション中央病院への転院が決まりました
あのベトちゃんドクちゃんも術後リハビリに打ち込んだかなり大きな病院です😊
ベトちゃんドクちゃんを今の若い人は果たして知っているのかどうか怪しいですが(笑)
とりあえずこの病院はリハビリにかなり特化していて、脊髄損傷の患者さんや義手義足の方、脳梗塞、パーキンソン病そしてもちろんギランバレー症候群の患者さんも少ないですが入院しています
特に脊髄損傷や義手義足、脳梗塞、パーキンソン病の方にはここ以上の病院はなかなかないと思います
まずこの病院に来た事で初めに
まだまだ体の使い方を覚えていなかったので
PTでは立ち上がる方法から
OTでは赤ちゃんがまず寝返りを覚えてハイハイ、膝立ち、つかまり歩きと言うように順番に覚えていくのと同じように寝たところから順に動きを覚えていきました
STはとりあえず肺炎にならないギリギリの嚥下力は回復していたので後はその力の向上、底上げを目標にリハビリしました
ですがまだこの時点で食事で十分なカロリーを摂取できるほど消化器症状は回復しておらず、大学病院を出る際に点滴をしたまま転院してきて始めは点滴と食事の両方でカロリーを賄っていました(それでもカロリー不足でしたが)
ですがひどい下痢が止まるわけでもなく点滴も長期していた為に血管がボロボロですぐに液漏れを起こして点滴の入れ直し、そして脱水症状のために血管の張りがなく点滴も入らない
そんな状態がずっと続きドクターの判断で点滴外そうと言うことになり早々に食事だけでカロリーを賄うことになりました
ですがもちろんまともに吸収できていないこの体でそうなるとリハビリで運動量は多いのにカロリー不足で一月もしないうちに10キロほど痩せてしまい52キロ→43キロになってしまいました😱
この時はまだトイレに行けずベッド上で便処置をしていたのですが1日の便処置にかかる時間は約6時間ほど。
それで体力を奪われ栄養失調脱水症状で少し空いた時間を見計らってリハビリ、そんな毎日が続いていたので精神的に体力的にも本当にキツかったです😭
何をしてても体が怠くしんどい、寝ている時ですら休めている気がせず
一番キツかったのが最初僕が入院してたのは神経内科だったのですがパーキンソン病でお年寄りの患者が多く夜中のイビキの煩さが尋常じゃなく全く寝れない始末。
自分の病室だけでなく隣の病室からも聞こえてくるサラウンド大音量イビキ…
耳栓してもそれを突き抜けてくる煩さで本当に発狂しそうでした💦
これから入院される方は耳栓は本当にマストで持っていった方がいいです!
と少し話がそれましたが(笑)
この神経内科には約3ヶ月ほどいたのですがその間に
リクライニング車椅子で毎日リハビリ室で2時間のリハビリが出来るようになり、平行棒でつかまり立ちして軽い運動、ハイハイやずり這いくらいは出来るまで運動能力は回復しました😊
嚥下能力も顔周りの筋力がかなり向上し角切りの食事が取れるまでは回復、STに関しては早い段階でかなり回復しましたね!
しかし感覚障害、自律神経障害はまだこの時点では目立った回復は無く、少しはマシになったかな?程度でした。
相変わらず下痢はかなりひどく、起立性低血圧も重度のまま、感覚に至っては特に変化なし
正直今だから思うのですが感覚に関しては病気になってできるだけ早い段階でお風呂に入ったりマッサージしたり何か刺激を入れる方がいいと思います
僕は最初全身の痛みが酷すぎて触れられるのも悲鳴上げるほどでお風呂も大学病院に転院するまで2ヶ月一度も入れず、マッサージも痛みで拒絶していました
ですが感覚は刺激によるフィードバックで取り戻していく可能性があるので今思えばどれだけ痛くても我慢してやっていればよかったと少し思います。
実際退院した今感覚も入院時と比べたら少し良くなっています
やっぱり刺激は大事なんだなと思っています。
この時点でオシッコも尿閉し常にバルーン留置でオシッコも垂れ流しだったのですがいつまでもこのままではいけないと自己導尿にトライすることになりました。
これに関してはそんなに難しいことでも無く一度教えてもらっただけで出来るようになりました
この時は指もまだ今以上に不自由でうまく動きませんでしたが頸髄損傷で指が全く効かない人でも自己導尿されているので今チャレンジしようと思っている方がいらっしゃったらそんなに心配しなくてもすぐ出来るようにやると思いますよ👍
ひとまずADL、QOL共に寝たきりからかなり向上し一般病棟の入院期限も迫ってきたところで障碍者病棟への転棟となりました。
正直ここからは毎日代わり映えしない毎日、ボロボロでフラフラで無理してリハビリする毎日でほとんど体にも変化はなく地獄のような毎日でした。
何度かナースコールで首を閉めようとしたりオーバードーズで自殺しようとしましたがまあ勿論死ねるわけもなく(笑)
多分死にたいと思っている心のどこかでまだ生きてたい諦めたくないとしがみ付いてたんでしょうね
一度母親に言われてぐさっときた一言があるんですが、
死にたいと漏らしたときに
今しんどい苦しいのは生きることを諦められへんから苦しいんやで
ほんまに諦めてたらそんなことも思えへんなる
って言われてハッと我に帰った時がありましたね
普段アホでポンコツなオカンからそんな言葉が出てきたことに少しびっくりしましたが(笑)
とりあえず今回はこの辺で終わり次回は障碍者病棟に移ったところから描いていきます!
長くなりましたがありがとうございました😊
今日もゆるぼち行きましょう〜
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最初の転院、イレウスとの戦い
こんばんは!
いぼぢぃです😊
最近また寒くなって来て皆さん体調崩してませんか?
僕は寒すぎて部屋でブルブル震えてますw
実家がクソほど田舎なので冬になると寒さが厳しいのと神経やられてるせいで体の所々に痺れがあるのですが、それが凄い冷感に感じるので暖めてもどうしようも無い現実😭
ましてや体温調節もできない体なので暖めすぎると今度は熱がこもってめっちゃ暑くなるし大変です💦
自律神経系やられてる人や脊損の方なら分かってもらえる人多いんじゃないかな
正直真夏よりは過ごしやすいですが年中ちょうど良い季節なんてほんの少しですw
ただ涼しいと血圧が上がりやすくなるので起立性低血圧きつい僕にはある意味すごしやすいですが😁
まあ2年間も入院してたら年中温度管理されてるので季節を感じられる事がすごい幸せです😊
さて今回は前回の続きで確定診断から大学病院に転院するところからはじめます。
再度治療のために設備の整った大学病院に転院することになったのですが
転院当日、介護タクシーでの移動でお世話になった看護師さん、ドクター、セラピストさん皆さんお見送りに来てくれたのですが
タクシーの運転手さん曰く、
ここまで派手なお見送りは初めて見ました
とのことでした(笑)
ほんとに最初から最後までお世話になった病院でした😭
涙は流したくても障害で出ませんでしたが寂しくて少し悲しかったですね
そしてまさかのその道中、またまた意識障害が出て呼吸が止まりかける事態に💦
オカンは血の気がひいたと言ってました😅
そりゃそうですよね(笑)
僕は寝てるつもりだったんですが
舌の筋力が弱っていたために舌自体が喉に詰まり呼吸が浅くなり意識が遠のいていたようです
そんなすったもんだがありなんとか病院に着いたときにはもうくたくた😵
なのにそこから丸一日かけて検査検査で
命を救う病院に殺されるかと思った1日でした
正直この転院以来大学病院にいい思いはありません
てかもう病院自体嫌いですが(笑)
まあ好きな人なんていませんよね(笑)
好きで病気でなる人なんかいないですし😅
そしてもう一つ嫌いになった理由があるのですが、
この転院の時、ある程度嚥下は回復していて飲み込む力自体は最低限回復していた状態でした
そして転院初日にカルテもまともに読まず軽く診察しただけで嚥下力は大丈夫やから常食(普通のご飯)出しますと言う判断に
長い間食べたくても食べれなかった僕はもちろん嬉しくて食事に飛びつくわけです。
ですが転院時点でまだ離乳食のような食事しか取っていなかったのと自律神経がやられ胃腸が正常に機能していない状態でいきなり常食を食べればもちろん胃腸はびっくりするわけです。
その当時病気のことについても僕自身は何も知識もなく、調べても詳しい情報も出てこないので、喜んで食べていれば胃腸が負担に耐えられず、
転院3日でイレウス(胃腸の動きが止まること)になってしまいまた何ヶ月も食事が取れない事態に。
それ以来大学病院はほんとに信用してません。
設備だけで中身は伴ってないって思ってます。
セラピストさんや看護師さんはいい人ばかりなんですけど医者がどうもね…
全員がそうとは言い切りませんが心ない医者が多かった気がします。
地元から離れ都会の病院に来た事で精神的にも辛い時期でしたが治療が効いたのかタイミングが良かったのかわかりませんがこの病院にいる間に、乗れなかったリクライニング車椅子に乗れるようになり、少し自分で動けるようになり、何より嚥下が地元の病院からずっと見てくれていた医者がびっくりするほど回復しました😊
そして病気になって初めての年越しを病院で迎えることになったのですがこんなに悲しい年越しは無かったですね(笑)
年末シーズン色々なお誘いもあるのに行けないもどかしさ、この先本当に治るのかと言う不安、
いろんなものに押しつぶされそうでほんとにしんどかったです。
ですがこんな僕のために年末年始家族が病院の近くで泊まり込みで毎日お見舞いに来てくれ、僕のことを必死にサポートしてくれました😭
本当に家族には頭が上がりません
元々親とは仲が悪かったのですが、この病気で家族のありがたさが分かった気がします😊
そのことに気づかされるために病気になったのか?と思ったほどです
まあもっと違う方法で気付かせて欲しかったですが(笑)
この時点で肺炎もやっと治りかけ食事もムース状の形態を少し食べ始め少し回復に向けて前進し始めた頃でした。
この時キツかった症状としては
・相変わらずの酷い下痢は治らない
・涙もまだ少ない為眼球の傷がひどく目が見えない
・起立性低血圧は少し回復したものの数秒の立位で気絶(この時の血圧が上45下30)
・全身の神経痛
・基本温度の高い病院の為熱が下がらず常に37度台
こんな感じでした。
ひとまずボロボロだった体も少し回復し始め
寛解に向けて一歩を踏み出したところで本格的にリハビリに打ち込むために再びリハビリ病院への転院が決まります。
本当はこの病院でもっと色んなことがあったんですがいい思い出が少ないからか余り記憶が残ってないんです😓
とりあえず病気の経過は最低限まとめているつもりですので参考にしてもらえれば!
次回はリハビリ病院に転院したところからまとめていきたいと思います!
ここでの入院が一番長い入院になり精神的には一番キツかった時期かもです
何度死のうと思ったことか😓
次回は少し鬱っぽくなるかもです
今回はありがとうございました!
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ついにHCU脱出!嚥下障害との戦い
どうも!
最近カメムシの多さに悩まされているいぼぢぃです😇(笑)
寒くなってきてカメムシが増えて来ましたね〜😱
都会じゃそんなに見かけないかもですが僕の家は田舎中の田舎なので冬眠に入るこの時期はカメムシの量が尋常じゃないです😤
毎日歩行訓練していても歩いてる僕にタックルしてくるあいつら…(笑)
そのシュールさがなんとも言えず必死に歩いてるのに笑わされてリハビリ出来へんやんけ!
って感じです(笑)
そーいや丁度発症してHCU→一般病棟に移った際もこの時期で同じようにカメちゃんに悩まされてたな🤔
ということで今回は前回の続きで一般病棟に移ったところから書いていきたいと思います。
前回ついに人工呼吸器を抜管し命の危機がある所からは脱した事で一般病棟に移ることになりました。
この時点でやっとはっきりした病名が分かり
川崎病の疑いからギランバレー症候群疑いに変更になりました。
この時点でもあくまで疑いで
検査の結果自体ほぼギランバレーで間違い無いのですがなぜ疑いだったかというと
あまりにも通常のギランバレー症候群とは違う神経障害が多く重症だった為に疑いと言う扱いになっていました(結果的にAASNNだったのですが)
ここで一般病棟に移ったのですがこの時点ではまだ体はボロボロで本当にキツイ毎日でした
まず全身の筋力低下で首から下はほぼ動かない
自律神経障害でよだれが出ないため喉がカラカラで水を飲ませて欲しいとお願いするも嚥下(飲み込みの機能)も上手く働いておらずスプーン一杯の水を飲むことすらできない状態
そして誤嚥して肺炎になっているためその肺炎を治す為にもこれ以上誤嚥するリスクを取れない
そして肺炎による高熱も自律神経障害により汗がかけないので全く下がらず常に40度越え
後はこれはよく理屈がわからないのですが、
おそらく感覚神経が障害されたことにより感覚異常が発現し、熱が上がる際普通の人ならゾクゾクする感じとか寒い感覚に襲われると思うのですが
僕は尋常じゃない痛さの神経痛が出ていました
その痛みがえげつない事…
痛みで何度か気絶もし仮に意識があっても叫び続けてました😱
未だに感染して発熱すると当時ほどではないですが猛烈な痛みに襲われます
とにかく痛み止めと解熱薬を投与しまくって体のクーリングで下げる毎日でした
涙も出なくなっていたので10分おきに点眼
そしてこれが未だに悩まされている消化器障害。
消化吸収もひとつもできなくなってしまった事で尋常ではない下痢が止まらず30分おきにおむつ交換。
それでも追いつかずシーツまで汚染する毎日でした。
こんな調子で一般病棟に移ったもんだからまあ毎日死にそう、寝れないで本当に限界でした😢
なぜこんな地獄を乗り切れたのかというとここでの出逢いが大きかったですね😊
最初に入院した病院は、地元だったこともあり知り合いも多く勤務していてお見舞いも頻繁に来てもらえていました
HCUに遠い親戚がいたり、一般病棟には中学からの友達、そしてまさかのその友達の後の奥さん!(笑)
僕が入院したその日にお披露目会って事で食事の誘いがあったみたいですが既に死にかけの僕はそんなことは梅雨知らず(笑)
病院で初めましての挨拶をするというまさかの状況に(笑)
ですがこの病院にいた2ヶ月看護師さんとも仲良くなり本当によくしていただきました😢
小学の同級生のお父さんがレントゲン技師だったり、友達の親戚が歯科医だったり
そして担当医のチームの皆
そして今後の予後に大きく関わってくるリハビリを必死にこなしてくれたセラピストさんたち
特にこの時点ではとにかく嚥下機能の回復をしないと水も飲めず食事なんて持ってのほかだったのでSTさんにはかなりお世話になりました。
この時点では毎日親がお見舞いに来てくれていて一緒に死に物狂いでリハビリしてました
嚥下評価の際に看護師がもたついて僕の体力が続かなくて中止になった時も泣いて謝ってくれたり
本当に患者思いの良いセラピストさんでした😭
PTさんも厳しくも優しくリハビリしてくださり
この病院にいた時点で
嚥下はとりあえず離乳食ほどの形態は食べれるようになり
運動神経は少しだけ動けるくらいまでは回復しました😊
食べれるようになったと言っても消化器障害はゴリゴリキツい時期だったので
経鼻経管栄養+離乳食も
食べて数分のうちに何も消化せず飲み込んだまま下痢していました😱
そんな酷い下痢が続いていたので、肛門周辺は皮膚が黒く炭化し感覚が弱いにもかかわらず激痛でした
ですが周りの支えもあり、一度だけリハビリ室にリクライニング車椅子で降りたことがあったんですが
その時たまたま2ヶ月に一度のリハビリで生まれつき人工呼吸器でものすごい難病で産まれた小学生の女の子が来ていたのですが、
そんなに障害を抱えていて辛いはずなのに凄い明るい子だったんです
産まれた時座ることも一生出来ないと言われた子が
走り回って踊ってるんです!
すごい楽しそうで生きてるだけで幸せ!って言ってました😢
あの子を見たときにこんな奇跡を起こせる子がいるんや!
俺も諦めたらあかん!絶対生き抜いてみせる!
って強く誓ったときでした。
なぜかこの病院にいた時は不思議な出会いが多かったです。
2ヶ月に一回のリハビリにたまたまリハビリ室に行けた僕が出くわせて勇気もらってってなんかすごい導かれてる気がしません?
お前は治るから諦めたらあかんのやでって神様に言われてる気がしました。
そんな出逢いや周りの支えもあって前向きに明るく過ごすことが出来ました😊
そして検査の結果もう一度ivig点滴をした方がいいと言うことになり大学病院への転院を進められたと同時にこの病気の本当の病名、確定診断が下りることになりました。
その病名が今までも書いて来た
急性自律性感覚性運動性ニューロパチー
です。
その際神経内科の医者に言われたのが
「あなたはもう一生歩けません、5年経ってやっと車椅子に乗れるかどうかです、これ以上早くならないでしょう」
と言うものでした。
うん、もうなんと言うかね普通落ち込んで泣くと思うでしょ?
それが何故か
「なんでお前にそんなこと決められなあかんねん!
先のことなんか誰にもわからんくせにお前に俺の人生決められてたまるか!絶対いつか歩いてやる!」
でした。(笑)
捻くれてるんですかね?(笑)
ですが何故か俺には出来る!そう思ってました。
実際今発症2年で少し歩けて車椅子にも普通に乗れています。(ざまぁみろ)
まあこの後転院するまでの数週間で現実見だして死ぬほど落ち込むんですけどね。(笑)
とりあえず今回はこの辺で終わって次回から大学病院に転院してからのことを書いていきたいと思います😁
長々とありがとうございました!
また次回もお願いします!
今日も一日ゆるぼち行きましょう〜
それでは!
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通院日!今年も残すところ後少し🍁
どうも!
いぼぢぃです😊
今日でもう11月ですね〜
今年も残すところ後2ヶ月!
月日が経つのは早いものです😱
去年の今頃はSMA症候群て言う腸閉塞で生死の境を彷徨って大学病院に転院してましたね(笑)
なんだかそのことがついこの間の事のようです😌
あの時は体重40キロまで激減し体もボロボロで一番苦しかった時期ですね😱
我ながらよく生きてたなと(笑)
生命力はゴキブリ並みです😇
さて今日は月一の診察日だったので
お世話になっている病院に行ってきました!
先日パンをトースターで焼いて食べた際に
感覚麻痺で気付かなかったのですが指を一緒にトースターで焼いてしまい(笑)
ヤケドしていたので診てもらって来ました!
(画像グロ注意です)
こんな感じで結構なヤケドしていたのですが、
幸い軟膏添付の軽い処置で済みました😅
服薬していたお薬も、
抗うつ薬中止
睡眠薬減薬
と段々減らしていけています☺️
睡眠に関しては、寝付けないというより
睡眠薬を飲まないことにより眠れないんじゃないか?
と言う精神的なところが大きいので様子見ながらどうしても眠れなかったら飲むと言う感じでしばらく様子みることになりました!
出来るだけ自然な眠りで休みたいですからね😌
早いうちに断薬できれば嬉しいです😁
通院の際は、リハビリも一緒に行っているのですが
最近は自宅でするリハビリの方が一歩踏み込んだリハビリを行なっていたので
PTさんに相談し今日から独歩中心のメニューに変更してもらいました!
内容としては、
後ろから脇を軽く支えてもらい後はほぼ自力で歩く
と言うものです。
これも7月まで入院していた際には出来なかったこと。
退院して約3ヶ月。
自宅では支えなしの独歩で5歩くらいなら歩けるようになり、通院リハでも今日だけで支えてもらいながら100m以上歩けるようになりました😊
(こんな感じです)
入院時お世話になっていたPTさんOTさんは驚いた顔でめっちゃ注目浴びてました(笑)
毎回どこの病院に行っても若いのと珍しい疾患の為に注目浴びがちでしたが久々にあの感じを味わいましたね😇(笑)
ですが良いところを見せれてよかったかな😁
今後は筋力強化よりは、
長距離を歩くための持久力強化と歩行バランスの安定性向上目指してリハビリ頑張っていく感じです😊
距離歩けるようになれば自ずと筋力もついてくるだろうし、未だに苦しめられている起立性低血圧も
ふくらはぎの筋力を付けることで血流をポンプする機能が強くなるので血圧が下がりにくくなってくると思います。
最近は運動後にしっかり血圧が上がる反応が少し遅れますが出て来ているので自律神経も少しずつ回復しているんだなぁと実感しています😌
初期は血圧も下がる一方で一切上がろうとしませんでしたからね😅
2年と言う長い月日はかかっていますが確実に開放に向かっています!
それとここ数日神経痛がひどく、激痛で叫ぶくらいの日が何日が続いていたのを見て、親父がこんなものを調べてくれました!
http://www9.nhk.or.jp/gatten/articles/20191002/index.html
ためしてガッテンでやっていた内容らしいのですが、痛みを取り除くことに集中するのではなく
痛みと上手く付き合うと言うような内容で特集されてました!
ACT 慢性疼痛
で調べると色々と記事も出て来ます。
僕の神経痛は原因を取り除くと言うことは不可能なので痛みに耐えて痛み中心のQOLになるよりは、
上手く付き合っていくこのやり方があっているのかなと思います。
実際痛くなりだすと段々悪化して何か気持ちが切り替わるまで辛いのが続く傾向にありましたからね〜
それと同時に消化器症状が悪化し下痢の悪化が見られていました(どちらかというと下痢が悪化すると神経痛が現れる?)
どちらにせよ精神的な面は大きいと思います。
正直親父とはそこまで仲が良いというわけではないんですが、こーゆう時に頼りになるのは本当に感謝しています。
また病気が寛解して社会復帰果たしたら何か恩返しして行かなきゃな🤔
よければ慢性疼痛で苦しんでいる方がいらっしゃいましたら参考にしてみてください😊
お腹の調子も無理して食べなければかなり落ち着いて来て、昨日丸一日は久々に下痢もせず落ち着いて過ごせました😆
まあ今日お昼食べてから少しまた下していますが…(笑)
食欲の秋と言いますが段々と食べれるようになってくるにつれ食欲も増してしまい抑えるのが大変です😱(笑)
ここで調子乗って体調崩さないように気をつけなきゃですね〜
早く何も気にせずお腹いっぱい油物を食べたいものです(笑)
年末も近づきここ最近また寒くなって来たので皆さん体調崩さないように気をつけていきましょう!
まあギランバレーの患者さんにとっては夏場より冬場の方が過ごしやすい時期になるので良い時期にはなって来ますが😁
来年こそはハロウィンやクリスマスなんかのイベント事どんどん楽しんでやるぞ〜!!
(とりあえずハロウィンUSJ)
それでは今日はこの辺で!
明日もゆるぼち良い一日を〜
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現在の病状について
こんばんは!
いぼぢぃです😊
今日はまだ現在の病状について触れてなかったので書いて行きたいと思います!
まず僕の病気は、
急性自律性感覚性運動性ニューロパチー
という病気です。
略称AASMNと言います。
ギランバレー症候群が、基本的に運動神経に障害が現れ、稀に体にまばらに軽度の感覚麻痺、軽度の自律神経障害が出る症状で比較的早い段階で回復する事が多いのに対し
僕の病気は重度の自律神経障害、感覚神経障害がメインに現れ運動神経障害もそれなりにきつく現れました。
内容としましては、自律神経障害による重度の起立性低血圧、排尿排便障害、全身の発汗不良、目の焦点が合わない(複視)、涙、よだれ が出ない、体温調節が出来ない、消化吸収が一切できない、そのためかなり重度の下痢が止まらない、脱水症状、栄養失調、その他細かな障害が沢山出ました。
後は感覚神経障害による首から下の感覚失調、首から上も健常の頃と比べて5割程度しかありません。
その為、熱い冷たい、痛い全てわかりませんでした。
運動神経も半年ほどで寛解したものの初期は首から下が腕がなんとか上がるくらいで足は全く動きませんでした。
そのためギランバレー症候群の亜型と言われていますが理屈は同じでも症状があまりにも重症化しやすく治りもかなり悪いため別の病気ではないか
と言う意見もあります。
現在発症から2年経ちましたが運動神経はほぼ寛解し力はある状態です。
ですが自律神経障害、感覚神経障害は後遺症が大きく残り
起立性低血圧は発症当初と比べるとだいぶマシにはなりましたが今でも立ち上がったりすると血圧上80の下60くらいまで下がります
他にもこれも当初よりかなり回復しましたが消化吸収がうまく出来ず下痢が続いています。
発汗不良や体温調節が出来ないのはいまだに残っています
感覚神経障害は相変わらず首から下の感覚はほぼなく微妙に温冷感覚と痛覚が戻ったくらいでほぼ変わっていないです
位置覚、深部覚はリハビリの甲斐もあって再学習という形で体が覚えてくれています
ここまで書くと酷い後遺症ばかりでほとんど改善していないように見えますが実は未だにほんの少しずつ回復していっています😊
回復のスパンは何ヶ月もしくは年単位で考えて良くなっていくような本当にゆっくりとしたスパンですが消化吸収も少しずつ良くなってきていて徐々に食事も取れるようになってきています🤗
本当に発症当初は経管栄養で胃に直接栄養剤を流し込んでいたのですがそれすら物の数分で全て下痢してしまい重度の脱水症状と栄養失調で体重も70キロから2ヶ月で50キロまで激減しました💦
そこからまともに食事で栄養が賄えるようになるまで1年半ほどかかり、退院した今は消化しやすくカロリーの高い食べ物を少しずつ回数を分けて食べています。
同じ病気で苦しんでいる方がもしいらっしゃるなら本当に時間はかかりますがまともに食事できるようになるまでは点滴で補う方がいいと思います😣
無理して食事で賄おうとしていた時期が一年ほど続いていましたが酷い下痢で毎日6時間以上もトイレに籠る生活が続き激痩せし結局倒れて死にかけるような思いをしてしまいましたからね😓
結果理解ある医者に出会え点滴と小腸瘻で栄養を賄うことで窮地を脱することができました。
運動神経は全く動かなかった体から片手で支えて貰えば少し歩けるくらいまで回復しています😊
運動神経が回復したと言うよりは感覚がないだけで運動する力はあるのでリハビリで歩く感覚や運動に対する感覚を再学習して覚え直すと言う感じに近いです(言い方が難しいですかね?(笑))
なんというかうまく言えませんが感覚がない体で歩くのは一輪車に乗っているような感覚です😅
常に一輪車に乗っているような感じなので直立するとフラフラだし歩こうとするとバランスがうまく取れないしっていう感じです!
ですがとにかく歩く練習をすることで感覚を取り戻して少しずつ歩けるようになってきています。
もし今同じ病気で苦しんで何も出来ないと諦めている方がいたらまだ諦めずトライしてみて欲しいと思います。
僕も途中諦めて腐っていた時期がありましたが周りの支えや良いセラピストに出会えたことで本気になって頑張った結果できることがかなり増えました。
トイレ移乗も一人でできるようになってお風呂もほぼ介助無しで入れています。
基本的な生活は一人でも行えるようになりました😌
とにかく前を向いてやるしか無いと思います。
辛いと思いますが落ち込むのはいいとして諦めないで欲しいと思います😢
どうせ出来ない、出来るわけがないと思ってしまうのもわかりますが実際僕が出来るようになりましたし必ずできるようになります!
と少し長くなりましたが現状はこんな感じです。
振り返ってみて思いますが本当にここまで良く出来るようになったなぁと…
諦めないでよかったです😊
とりあえず今日はこの辺で!
長々とありがとうございました!
明日も良い一日になりますように😌
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入院そして長い長い戦いの始まり〜
こんにちわ!😊
いぼぢぃです!
今回は前回の続きで入院から数日までをまとめて行きたいと思います。
とりあえず入院するか〜くらいのノリで入院が始まった訳ですが、この時点では僕も3日くらいで退院できるだろうと思っていました。
(めちゃくちゃ甘い考えでしたが(笑))
結果としてここから約2年間と言う長い戦いになる事はこの時は梅雨知らず…
入院したその日の夜、相変わらずの高熱と全身の痛みで眠れるわけもなく解熱薬、点滴とするも何も効かず熱もとうとう人生初の40度越え
ここで初めてマジでヤバいんじゃね?と思いかけました。
次の日の朝家族が来てなんとかご飯を食べるも吐き散らかしもう限界と思った所で実はもう記憶がありません
後から聞いた話ですが意識障害が起きていたらしく僕自身は3日くらいしか経っていないと思っていたのが1週間経っていたみたいです😱
その意識障害が起きていた間、幻覚を見ていて
赤ちゃんが空から降ってきたり、ダンボールに覆いかぶさられて身動きが取れない夢を見ていたり、付き添っていてくれた親父が化け物に見えたり…
とにかく恐怖体験としか言いようがなかったです
ほんとに怖かった😭
その間におしっこも出なくなり膀胱が限界を迎え尿漏れし出したらしく導尿(尿道に管を入れて直接おしっこを出す事)してもらうとなんと2ℓもの尿が!
基本的に膀胱の限界容量は500㎖ほどと言われていますがその4倍も溜まっていたようです(笑)
そして気付けば1週間経った頃(意識障害で気付いてもないが(笑))
ずっとこの病気が何かわかっていませんでしたがここで、
全身の発疹、高熱、目の充血などから
ではないか?
と言う診断が出ました(結果的に川崎病ではなかったですが)
その治療のためにivig(ガンマグロブリン)と言う点滴をすることになりました。
これが結果的にGBSの治療法と同じだったこともありたまたまとは言えこの段階で治療をすることができました。
ですがこの点滴、かなり濃度の高い液体で肺に水分が溜まってしまうことがあるらしく既に体の機能がボロボロだった僕は例に漏れず肺に水分が溜まってしまいました。
そして当の本人はわかっていませんでしたがこの時既に首から下の感覚が無くなっており嚥下の感覚も無くなっていました。
その感覚がない状態でその日の夜に喉が渇いたとアクエリアスを一気飲みしてしまい、肺に水分が貯まった状態でそのアクエリアスも全て肺に入り呼吸困難で緊急で人工呼吸器装着することになりました。
当時の担当医いわく後5分遅ければ死んでいたと言われました😅
実際この時に心不全も起こしていたらしく本当にやばかったんだなという感じです…
ここからHCUに入り集中治療を受けることになります。
この辺りから意識もはっきりし鮮明に記憶が残っていますが、意識がはっきりしたためにここから一般病棟に移るまでの約1週間本当にしんどくて長い1週間でした💦
ですが何故かこの時はとても前向きで空元気でもなく本当に明るく振る舞っていました(笑)
恐らく物事の重大性にも気付いていませんでしたし、現実を受け入れる余裕もなかったんだと思います。
ですがこのHCUで遠い親戚の看護師さんがいることがわかり精神的にもかなり支えになり、担当医のチームに外国のイケメン研修医が居たんですがその人がとても明るく接してくれて常に僕のことを気にかけてくれ、
と言ってくれそれが今でも心の支えになっています😊
結果的にその病院にいる間にその約束は果たせませんでしたがいずれ寛解したらその約束を果たしに行くつもりでいます👍
この時は人工呼吸器で声を発することもできず文字盤を震える手で指差して会話していました。
この時の家族、周りの支えは本当に助けになりました😢
改めて家族のありがたみがわかった瞬間でもありますね😊
ここで人工呼吸器が外れるまでの約1週間無限とも思えるような長い時間を過ごし一般病棟に移ります。
ここからがまた苦しい戦いの始まりで今も悩まされている内臓障害の初めの一歩でしたね
と、今回はこの辺で終わりたいと思います!
次回は出逢いと嚥下障害との戦いって感じですかね!(笑)
そしてこの時出逢ったドクター、看護師さん、セラピストさんには本当に感謝しています🙇♂️
あの時にこの出会いが無ければ今の僕はないと思っています。
なんだかんだやっぱり僕は人に恵まれているんだなぁと思う出来事でしたね😊
では!また次回まとめて行きたいと思います!
長々と読んでいただきありがとうございます!🤗
また次回も宜しくお願いします〜
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ギランバレー症候群発症から入院まで
こんばんは!
という事でいきなりですが発症から入院までの経過をまとめて行きたいと思います。
もう発症してから2年経っているので所々抜けている部分もあるかもですがそこはお許しを。(笑)
まず初めに、
この病気は自己免疫疾患と言って
自分の体を守る抗体が間違えて自分の体を攻撃する事で発症します
よくテレビなどで食中毒で体調を崩した後に発症しやすいという報道がされていますが、
基本、食中毒や疲れていたりで体の抵抗力が落ちている時に罹りやすい病気だと思います
実際僕もいろんな研究機関に血液検査をしてもらいましたが僕の場合原因となる抗体が見つかりませんでした。
なので発症原因は不明ですが、間違いなく仕事やプライベートの忙しさで疲れが溜まっていたのは事実です。
そんな疲れが溜まっている時にいきなり体調を崩す所から始まりました。
2年前の9月半ば頃、その日は朝も普通に起きていつもと変わらず仕事に行きました
いつもは食欲も旺盛で痩せの大食いタイプの僕だったんですが何故かその日はお昼ご飯も食欲が湧かず殆ど残してしまいました。
この時特に気にも止めていませんでしたが既に異変は起きていたんでしょうね
食欲が無い他にシャーペンを持つ手にわずかに力が入りにくいという異変も出てました
仕事が終わる頃には風邪っぽい症状も出てきてその日は帰ってすぐに寝ることにして体を休めたんですが、次の日の朝起きると37度の微熱。
この日まではまだそこまで酷い症状もなく1日安静にしてれば治るだろう。
そう思ってました。
てすが…
次の日起きると38度超えの高熱になり全身がインフルエンザの時のような痛み、
フラフラになりながら近所の病院で見てもらいましたがその時は扁桃炎だろうと言う診察。
薬を飲んでその日も寝ましたが次の日の朝には手足に力が入りにくくうまく動かせない、熱も39度まで上がり痛みも増してボロボロ、夜に救急で少し大きな病院で診てもらうも何もわからず…
その日も諦めてベッドに入りましたが既に痛みと高熱、吐き気等で眠れず
この時点で胃腸は動きが恐らく止まっていました、他には目の充血、全身の発疹、便がストップ、手足が動きにくい、全身の痛み、高熱、汗が出ない等の異常が起きていました
次の日の夜もう限界で、
「救急車呼べ!」
と叫んでフラフラの体で病院に連れて行ってもらいましたがそこでも原因は分からず
とりあえず入院する?
くらいのノリで入院。
僕はもう限界でしたが医者がそう言うならそんなにひどくないんだろう
そう思ってました。
これが地獄の始まりだったんですがね(笑)
なんだか怖い話ばかりになってしまいましたが本当にこの時は辛かったです😅
まあこれから長く続く入院生活ではいろんな意味で辛く地獄のような日々が続くのですがそれはまた後日まとめて行きたいと思います
毎回こんな暗いブログばかりじゃ読んで下さる皆さんも暗くなっちゃいそうなので(笑)
日々の明るい話や何気ない話も記事にして行きますね!🤗
とりあえず今日はこの辺で〜
明日もゆるぼちいきましょう!
明日も良い1日を〜
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