入院そして長い長い戦いの始まり〜
こんにちわ!😊
いぼぢぃです!
今回は前回の続きで入院から数日までをまとめて行きたいと思います。
とりあえず入院するか〜くらいのノリで入院が始まった訳ですが、この時点では僕も3日くらいで退院できるだろうと思っていました。
(めちゃくちゃ甘い考えでしたが(笑))
結果としてここから約2年間と言う長い戦いになる事はこの時は梅雨知らず…
入院したその日の夜、相変わらずの高熱と全身の痛みで眠れるわけもなく解熱薬、点滴とするも何も効かず熱もとうとう人生初の40度越え
ここで初めてマジでヤバいんじゃね?と思いかけました。
次の日の朝家族が来てなんとかご飯を食べるも吐き散らかしもう限界と思った所で実はもう記憶がありません
後から聞いた話ですが意識障害が起きていたらしく僕自身は3日くらいしか経っていないと思っていたのが1週間経っていたみたいです😱
その意識障害が起きていた間、幻覚を見ていて
赤ちゃんが空から降ってきたり、ダンボールに覆いかぶさられて身動きが取れない夢を見ていたり、付き添っていてくれた親父が化け物に見えたり…
とにかく恐怖体験としか言いようがなかったです
ほんとに怖かった😭
その間におしっこも出なくなり膀胱が限界を迎え尿漏れし出したらしく導尿(尿道に管を入れて直接おしっこを出す事)してもらうとなんと2ℓもの尿が!
基本的に膀胱の限界容量は500㎖ほどと言われていますがその4倍も溜まっていたようです(笑)
そして気付けば1週間経った頃(意識障害で気付いてもないが(笑))
ずっとこの病気が何かわかっていませんでしたがここで、
全身の発疹、高熱、目の充血などから
ではないか?
と言う診断が出ました(結果的に川崎病ではなかったですが)
その治療のためにivig(ガンマグロブリン)と言う点滴をすることになりました。
これが結果的にGBSの治療法と同じだったこともありたまたまとは言えこの段階で治療をすることができました。
ですがこの点滴、かなり濃度の高い液体で肺に水分が溜まってしまうことがあるらしく既に体の機能がボロボロだった僕は例に漏れず肺に水分が溜まってしまいました。
そして当の本人はわかっていませんでしたがこの時既に首から下の感覚が無くなっており嚥下の感覚も無くなっていました。
その感覚がない状態でその日の夜に喉が渇いたとアクエリアスを一気飲みしてしまい、肺に水分が貯まった状態でそのアクエリアスも全て肺に入り呼吸困難で緊急で人工呼吸器装着することになりました。
当時の担当医いわく後5分遅ければ死んでいたと言われました😅
実際この時に心不全も起こしていたらしく本当にやばかったんだなという感じです…
ここからHCUに入り集中治療を受けることになります。
この辺りから意識もはっきりし鮮明に記憶が残っていますが、意識がはっきりしたためにここから一般病棟に移るまでの約1週間本当にしんどくて長い1週間でした💦
ですが何故かこの時はとても前向きで空元気でもなく本当に明るく振る舞っていました(笑)
恐らく物事の重大性にも気付いていませんでしたし、現実を受け入れる余裕もなかったんだと思います。
ですがこのHCUで遠い親戚の看護師さんがいることがわかり精神的にもかなり支えになり、担当医のチームに外国のイケメン研修医が居たんですがその人がとても明るく接してくれて常に僕のことを気にかけてくれ、
と言ってくれそれが今でも心の支えになっています😊
結果的にその病院にいる間にその約束は果たせませんでしたがいずれ寛解したらその約束を果たしに行くつもりでいます👍
この時は人工呼吸器で声を発することもできず文字盤を震える手で指差して会話していました。
この時の家族、周りの支えは本当に助けになりました😢
改めて家族のありがたみがわかった瞬間でもありますね😊
ここで人工呼吸器が外れるまでの約1週間無限とも思えるような長い時間を過ごし一般病棟に移ります。
ここからがまた苦しい戦いの始まりで今も悩まされている内臓障害の初めの一歩でしたね
と、今回はこの辺で終わりたいと思います!
次回は出逢いと嚥下障害との戦いって感じですかね!(笑)
そしてこの時出逢ったドクター、看護師さん、セラピストさんには本当に感謝しています🙇♂️
あの時にこの出会いが無ければ今の僕はないと思っています。
なんだかんだやっぱり僕は人に恵まれているんだなぁと思う出来事でしたね😊
では!また次回まとめて行きたいと思います!
長々と読んでいただきありがとうございます!🤗
また次回も宜しくお願いします〜
Twitterフォロー宜しくお願いします🤲
https://mobile.twitter.com/ibz0402